ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。
今はガネーシャ祭り真っ只中。
私が住むムンバイはガネーシャ祭りが最も盛り上がる地域の一つで、せっかくお祭り期間中にムンバイにいるのでパンダル巡りをしてきた。
今回はムンバイ最古のパンダルとムンバイで最も大きな像があるパンダルを訪れた。
前編ではムンバイのガネーシャ祭り発祥の地であるギルガオンのパンダルについて。ガネーシャ祭りの歴史についても解説するよ🐘
▼目次はこちら (クリックして表示)
はじめに:ガネーシャ祭りとは
ガネーシャ祭りとは、象の頭を持つことで有名な智恵と繁栄の神「ガネーシャ神」の生誕を祝うヒンドゥー教のお祭りのことで、マハーラーシュトラ州を中心に盛大に祝われている。現地語では「ガネーシャの祭典」を意味する「ガネーショートサヴ」や「ガネーシュ・ウトサヴ」と呼ばれる。
ヒンドゥー暦では新月の日を月の始まりとし、新月から4日目を「チャトゥルティー」という。ヒンドゥー暦新年から6ヶ月目のバードラ月Bhadrapada、8~9月頃)のチャトゥルティーをガネーシャ・チャトゥルティーという。この日からガネーシャ祭りが始まり、バードラ月14日目の満月の日まで祭りは10日間続き、最終日にガネーシャ像を海へと流したり水に浸けたりする。
2023年は9月19日から始まり、28日まで続くよ~
ガネーシャ祭りが始まる1か月前頃からムンバイのあちこちにガネーシャ祭り用のガネーシャ像販売店が出現。お祭りに使われるがネーシャ像は家庭用の小さなものから、「パンダル」と呼ばれるお祭りの期間中に設置される仮設寺院に祀られるための大きなものまで種類が豊富にある。ガネーシャ・チャトゥルティーの日が近づくとパンダルに輸送されるガネーシャ神の巨像に遭遇することも多くなり、お祭りシーズンの到来を感じる。
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— 𝗖ʰᵃⁿ𝗞ᵒᵐᵉ (@chankomeppy) September 16, 2023
各家庭やコミュニティに迎え入れられたガネーシャ像はプージャ(お祈りの儀式)によって息を吹き込まれ、10日間のお祈りを捧げえられた後、最終日に海へ流される(あるいは水に沈められる)。
伝統的なガネーシャ像は自然由来の土粘土で作られているため、水に浸けることで自然に還り、ガネーシャ神がヒマラヤのケイラーシュ山にいる父シヴァ神と母パールヴァーティーのもとへ帰ることができると信じられている。また、ガネーシャ神は「障害を取り除き新しいことを始める神様」としても知られているが、ガネーシャ像を水に浸けるために連れ出すことで家の中の障害も一緒に取り除かれ、水に浸けることで障害が消え去るとも信じられている。
祈りの期間は絶対に10日である必要はなく、1日半、3日、5日、7日間でもOK。ムンバイの場合は海にガネーシャを流すのが一般的だが、最終日の10日目はパンダルに祀られていた無数の巨像が一気に海に運ばれてくるためとんでもない混雑が発生する。そのため、意図的に10日を避けるという話も聞いたことがある。お祈りの日数=信仰の程度を表しているわけではない。
ガネーシャ祭りの起源
ガネーシャ祭りがいつから祝われるようになったのかは明らかになっていないが、歴史文献によるとマラーター王国を興したマラーターの英雄であるチャトラパティ・シヴァージーがマラーター王国の首都プネーにおいてマラーター文化促進のために祭りとして公に祝い始めたとされている。マラーター王国(連合)がイギリスに敗北してイギリスの統治下に置かれるまでは、マラーターのペシュワ(宰相)がパトロンとなって祭りは祝われていたというが、英統治下ではパトロンがいなくなってしまったために公には祝われなくなり、家庭内で小規模に祝われるのみとなった。
現在のように10日間にわたって大規模に祝われるようになったのは19世紀末からで、これには独立運動が大きく関係している。
1892年、プネーの独立活動家がガネーシャ・チャトゥルティの際、ガネーシャ神の偶像をはじめて公に設置した。この像はガネーシャ神が悪魔を殺す姿で、悪魔はもちろんイギリスを表している。
▼現在もプネ―の寺院にその偶像が安置されている。
ジャーナリストであり独立活動家でもあった「ロークマニャ・ティラク」は、自身が発行する「ケサリ」という新聞を通じて、プネーでの公への偶像設置を「パブリックガネーシャ祭り」として取り上げ、これをマハーラーシュトラ州のイベントにしようと目論んだ。
イギリス統治下のインドでは20人以上の社会的・政治的な公の集会を開くことが禁じられていたが、宗教集会は免除されていたため、
「ガネーシャ神は政治的障害を取り除く」
「大規模な宗教の集いを大規模な政治集会にしよう」
と訴え、彼の支持者たちがガネーシャ祭りを祝い始めた。
当時反植民地の動きが高まっていたことあり、祭りの規模は一気に拡大していき、ガネーシャ祭りは、バラモンと非バラモン、異なる階級の人々が一致団結する場となり、今日の大規模なお祭りにまで発展したのである。
ロークマニャ・ティラクも、ガネーシャ祭りがここまで大きくなるとは想像していなかっただろう!!!
ムンバイのガネーシャ祭り発祥の地「ギルガオン」
ムンバイのパブリックガネーシャ祭りは、1893年にギルガオンの集合団地で祝われたのが始まりである。
当時のギルガオンは、ボンベイ(ムンバイの当時の名称)の中心地であるフォートやコラバから少し離れた田舎で、仕事を求めてボンベイにやって来た移住者たちはマラティー語で「チャウル」と呼ばれる質素な集合団地に住み始めた。この時代に建てられたチャウルやその他の集合住宅、民家には住民の共用スペースとして中庭のようなオープンスペースがあり、そこにお案ダルが設けられた。
▼チャウルはこんな建物。ベランダ部分が共用部になっているのが特徴。広さ400平方フィートくらいの質素なアパートでムンバイ南部に今も多く残っている。
ちなみに①:こういうベランダがある建物は古いポルトガル様式の建物の影響を受けている。ギルガオンへの移住者の多くはムンバイからケーララまでのびるアラビア海沿い一帯のコンカン地方(ゴアも含まれる)出身で、特に「コタチー・ワーディー」と呼ばれる一角にはゴーアン・ポルトガル様式で立てられたヴィヴィッドでカラフルな古民家が集まっており非常に写真映えする。
ちなみに②:マハーラーシュトラー州には「○○ワーディー」という地名がよく見られる。ワーディーとは小さな集落を意味し、民家が集まる一角の総称として用いられる。
1893年から続くムンバイ最古のパンダル
ムンバイ最古のパンダルはケーシャヴジ・ナイク・チャウルにあるパンダル。
ここでは1893年から一度も欠かすことなく毎年ガネーシャ祭りを行っている。
パンダルはチャウルとチャウルの間のスペースに設けられているのだが、住居とパンダルがあまりにも近すぎる。玄関のドアを開けたら目の前にパンダル!!!
ガネーシャ祭りといえば、高さ10メートル超のガネーシャ神の巨像が有名だが、ガネーシャ祭りが祝われ始めた当初は巨像ではなく、現在一般家庭で迎え入れられるようなサイズ感のものが一般的であった。このパンダルのガネーシャ像のサイズは1893年からずっと変わらない。
1940年代にガンディー指導のもとに行われた「インドを立ち去れ」とイギリスに要求した反英大衆運動(クイット・インディア運動)の際にガネーシャの代わりにガンディーの顔で巨像が作られ巨像ブームが到来し、それ以来巨像が定着したのだという。
ムンバイのガネーシャ祭りは独立運動なしでは語れないのね!!!
昔ながらの素材(100%自然由来の土粘土)、昔ながらのサイズでガネーシャ像が作られていることから、131年前にガネーシャ祭りが始まったときの様子を今に伝える貴重なパンダルだと感じたよ。
伝統的なパンダルである一方で、テクノロジーも活用している。オフィシャルサイト、facebookページ、Youtubeの運営やお布施のQRコード対応から推測するに、年配の世代だけでなく、若い世代もこのパンダルの運営に関わっているのではないだろうか。このパンダルは❝地元住民の誇り❞なんだねぇ。
このパンダルがあるチャウルの近くのお店では、珍しいドリンク「SOSYO」と「Rogers」を頂くことができる。
SOSYO(左)は1920年代のガンディーを中心にイギリス製品をボイコットし国産品を愛用する「スワデーシー」運動が盛んだった時期に英国のソーダ「Vimto」の代替品として作られたもので、グジャラートのスーラトで製造されており西インドの一部でしかお目にかかることのできないミックスフルーツ味のソーダ。
Rogers(右)は約180年前からムンバイで製造されているソーダブランドで、イラニカフェで提供されるラズベリーソーダをはじめ様々なフレーバーがある。
この地域ではガネーシャ祭りの運営に携わってくれた子供たちにご褒美として、SOSYOとRogersのアイスクリーム味を混ぜた激甘ソーダにカシミリマサラを加えた謎ドリンクが振舞われるそうなので、私もその謎ソーダを試してみた。なかなか癖の強いユニークな味わいで好みが分かれそう😂私は好きでした😂もしこの地域を訪れることがあればぜひw💕
小さな町内会にある昔ながらのパンダル
パルシュラーム・ワーディーという古民家の町内会にあるパンダル。
民家と民家の間にあるスペースにパンダルが設けられており、ローカル感がスゴイ。住民による住民のためのパンダル、という印象を受けた。
ガネーシャ像の左にはチャトラパティー・シヴァージー(最初にガネーシャ祭りを祝い始めたとされる人物)、右にはロクマニャ・ティラク(今日のガネーシャ祭りを始めた人物)の肖像画が掲げられていた。
100年前に建てられたビルにある昔ながらのパンダル
1904年に建てられたモーハンビルヂングのパンダル。
敷地内の巨大な中庭全体にパンダルが設けられており、訪問時はちょうどお祈りの真っ最中だった。
大きなガネーシャ像は財力を示す物差しとしての側面もあるため、地域コミュニティのパンダルに祀られるガネーシャ像はサイズが大きくなりがちであるが、こういう昔ながらの伝統的なパンダルとガネーシャ像も地域住民の心がこもっていてすごくいいなって思ったよ。
重さ4トンの土粘土ガネーシャ像が鎮座するパンダル
ギルガオン・チャ―・ラジャーとして知られるパンダル。(「チャ―(マラティー語)」はヒンディー語の「カー」に相当、つまり「~の」という意味)
1928年から続くパンダルで、ギルガオンで名の知れたパンダルの一つ。
このパンダルが有名な理由は、100%自然由来のガネーシャ神の巨像を祀っているため。
「ガネーシャ像は土で作られていて自然に還るので環境に優しい」と言う人がたまにいるが、これは半分本当で半分嘘である。
自然に還るタイプの伝統的でエコフレンドリーなガネーシャ像は土粘土で手作りされている。上3つの昔ながらのパンダルで祀られているガネーシャ像は土粘土で作られたものであるが、土粘土のみでつくると重くなってしまうため昔ながらのサイズ感で作られることが一般的。また、土粘土のみで作ると表現の幅も狭められ、アクロバティックな動きをした映え度MAXな巨大ガネーシャ像を作ることができない。
そのため、巨像の場合は水に溶けない成分が混ざっているケースが大半であること、ガネーシャ祭りが終わると海に清掃が入り、分解されなかったガネーシャ像が回収されることは暗黙の了解事項である。
そんな中で、ここのガネーシャ像はムンバイ市内において数少ないエコフレンドリーな巨像を祀っている。
その重さはなんと
4トン!!!
最終日に海まで運んで流すのに16時間くらいかかるらしい。
パンダルへ続く道にはスポンサー企業の広告がびっしり。政党からも資金援助を受けているようで、パンダルの入り口にはシブセナの広告が貼ってあった。
巨像が祀られているパンダルには必ず、小さなガネーシャ像も祀られている。巨像は見せるためのもの、小さい像が実際にお祈りをするためのものらしいが誰も小さい像には見向きもしない!
有名なパンダルなのでオフィシャルサイトとインスタグラムアカウントもある。
独立運動の集会が開かれたチャウルにあるパンダル
独立運動の際に集会の場として使用されていたシャンタラム・チャウルにあるパンダル。
上述の通りチャウルには広いオープンスペースと長い共用ベランダの廊下備わっているため、集会をするにはもってこいの場所だったんだって。このチャウルは、ムンバイ市内のヘリテージウォークなんかでも有名な見どころとして紹介されている。
インド国外にあるガネーシャ像をモチーフにしたガネーシャ像を祀るパンダル
ギルガオン・チャ―・マハラジャーとして知られるパンダル。
ここでは「インド国外」にある世界中のガネーシャ像をモチーフにしたガネーシャ像を祀っている。毎年モチーフとなるガネーシャ像は変わり、2023年はアフガニスタンでインドの考古学者が発掘した5世紀のガネーシャ像がモチーフとなっている。
海外のガネーシャ像のレプリカが作られるわけではなく、それらをモチーフにした完全オリジナルのガネーシャ像がこのお祭りのためだけに作られる。
パンダルの入り口はガネーシャパンダルらしからぬ雰囲気。アフガニスタンの像モチーフなのにどことなく東南アジア感が漂う…
ガネーシャ像は非常にユニークで、他のパンダルのガネーシャ像とは圧倒的に違う。こういう遊び心があるパンダルも面白いね!!
このガネーシャ像も土粘土でできていて、重さはなんと8トン!
・・・8トン!!!???先ほど見た巨像が4キロなのに対し、これが8トン?重さが2倍も変わるようには見えないが、とにかく重いのだろう。
おわりに:ギルガオンはネコ天国
ギルガオンでは野良猫が地域住民と共存しているため、ヒジョーに猫が多く、猫好きには堪らないエリアとなっている。ムンバイで路上の猫ちゃんと戯れたかったらギルガオンへ行けばとりあえずは間違いない。
というわけで前編は、ギルガオンのニャンコで締めます。どうぞお納めください。
野良ネコさんたちが健康に暮らしている地域はいい場所だよね~
ギルガオンは歴史があり、猫がたくさんいて、なんていい場所なんだろう!
▼後編につづく。 indoyuruyuru.com